鹿島アントラーズの応援をするようになったことで鹿嶋市に移住した家主。ジーコ像があると聞けばどこへでも行く。鹿嶋市内のジーコ像は、カシマスタジアムの前とショッピングセンター「チェリオ」の中にある。そして、ジーコの生まれ育ったブラジル、リオ・デ・ジャネイロにもジーコ像がある。私はそれらを勝手に世界三大ジーコ像と呼んでいる。
ジーコ像、他にもあったら教えて下さい。
フラメンゴのクラブハウスにあるジーコ像
フラメンゴのクラブハウスを訪ねる
ジーコは14歳のときに、リオデジャネイロのフラメンゴのユースに加入。その後、トップチームに昇格し、10年以上に渡ってフラメンゴのエースとして活躍した。フラメンゴのクラブハウスにジーコ像があると聞いて訪ねてみた。2014年、ブラジルワールドカップの頃だ。
コルコバードのキリスト像のふもとにロドリゴ・デ・フレイタス湖という湖がある。夏の暑い日、この湖の木陰を歩き、ようやく見えてきた「FLAMENGO」の文字。クラブハウスに近づけば近づくほど壁がどんどん赤に染まっていく。テンションがあがっていく。
クラブハウスに到着
クラブハウスの入り口に、ジーコの本名と「ZICO」の文字を見つけた。
ARTUR ANTUNES COIMBRA
アルトゥール・アントゥネス・コインブラ
ジーコ像がお出迎えしてくれるフラメンゴのクラブハウス
クラブハウスに入ると、ロビーにいきなりあった!ジーコ像だ!
うおおおおお!これはゴール後のジーコだろうか。
鹿島のユニフォームを持たせちゃう。
背中の10番も格好いい。ジーコ像をぐるぐると目に焼き付ける。ブラジル、遠かった。
顔はめは日本だけの文化ではなかった!まさか、リオ・デ・ジャネイロで顔はめできるとは。ジーコと記念写真だ。
フラメンゴのクラブハウス – Clube De Regatas Do Flamengo
Av. Borges de Medeiros, 997 – Gávea, Rio de Janeiro – RJ, 22430-041 BRAZIL
- クラブハウスの中にミュージアム、オフィシャルショップなどがあります。
カシマスタジアムのジーコ像
カシマスタジアムを訪れる度に挨拶しているジーコ像。試合前にこのジーコ像に勝利を願うのは、ルーティーンみたいなものだ。鹿島アントラーズのサポーターはもちろんのこと、アウェイのサポーターもここで写真撮影する姿をよく見かける。躍動感のある背番号10番のジーコ像、試合後の待ち合わせにすることも多い。
このジーコ像は、1996年(平成8年)3月、スタジアム隣りにあるカシマスポーツセンターの竣工記念にできたもの。「寄贈 神向寺慧」とあるので、個人の寄贈のよう。このカシマスタジアムは鹿嶋市神向寺という地域なので、地元の人かもしれない。
2022/5/8の試合前に、このスポーツセンターでジーコのトークショーがあった。そのときに「スタジアムの隣りに、こんなに素晴らしい体育館があるのを初めて知った」と語っていた。長く鹿島で活躍しながら、これまでスポーツセンターの中に入る機会はなかったようだ。そういう私も、ジーコのトークショーで初めてこのスポーツセンターに入ったのだった。
ジーコ像の周辺には、Jリーグ創生期に活躍した選手の足形がある。
ジーコの足形は左右揃っている。
同時期に活躍したアルシンドの足形も。
ショッピングセンター「チェリオ」内にあるジーコ広場
鹿嶋市内もう一つのジーコ像は、市の中心部にあるローカルなショッピングセンタ−「チェリオ」の中にある。「チェリオ」は「イオン」と店内でつながる大型ショッピングセンターだ。東京からカシマスタジアムに通っていた頃、ジーコ像を見るためにこのチェリオをよく訪れていた。鹿嶋市民になると、当たり前の風景になってしまった。
チェリオのジーコ像は、1994年10月に行われた引退イベント「ジーコ・カーニバル」でお披露目されたもの。当時、クラブ関係者がジーコには内緒で製作を進め、サプライズでの除幕式となったそう。この除幕式には、ブラジルからご家族も招待されている。
鹿嶋市のローカルなショッピングセンター「チェリオ」
チェリオに入ると、しかおが迎えてくれる。
ジーコ広場は憩いの場
ジーコ広場はチェリオの中央、吹き抜けの空間にあり、エスカレーターからもよく見える。ここにはテレビがあるので、いつもおじいちゃん、おばあちゃんたちの憩いの場になっている。
2022年12月某日、ジーコは小さなクリスマスツリーに囲まれていた。地元のこどもたちが飾り付けをしたツリーだ。季節によって、ジーコ広場は雰囲気が変わる。
「ZICO mini MUSEUM – SINSE 2004.2.8」とあるように、ジーコ像と一緒にジーコの写真やサインが飾られている。右のサインは世界最大のサインらしい。
チェリオのジーコ像は、鹿島アントラーズの10番として活躍した頃の写真と並んでいる。3つのジーコ像の中で一番似ていると思う。
鹿島アントラーズはジーコの他にも、歴代ブラジル人の名選手がたくさんいる。ここにはアルシンド、ビスマルク、サントス、マジーニョ、レオナルド、ジョルジーニョのサインも飾られている。左上の「イエスは主」と日本語で書いてあるのは、ビスマルクのサイン。
ジーコ像とジーコの写真が飾られていた。ローカルなショッピングセンター「チェリオ」にジーコが来たと思うと、感慨深い。
ジーコ像に刻まれた功績
ジーコ像の台座には「ありがとうジーコ」の文字がある。
ありがとうジーコ
鹿島アントラーズを、Jリーグ前期初代チャンピオンチームに導き、また、鹿島町民に夢と希望と感動を与えてくれたことにより、鹿島町名誉町民に選ばれたスーパースタージーコ選手。
多くのジーコファンや鹿島町民と共に、功績と栄誉を末永くたたえるものです。
鹿嶋市ショッピングセンター「チェリオ」内、ジーコ像の台座より
本名 Arthur Antunes Coimbra
(アルトゥール・アントゥネス・コインブラ)国籍 ブラジル 生年月日 1953.3.3生 経歴 1966 ブラジルの名門クラブ、フラメンゴに入団 1978 ブラジル代表としてW杯アルゼンチン大会出場 1981 リベルタドーレス杯優勝 1981 トヨタカップ優勝 1982 ブラジル代表としてワールドカップスペイン大会出場 1983 世界優秀選手賞受賞 1986 ブラジル代表としてワールドカップメキシコ大会出場 1990 ブラジルの初代スポーツ庁長官に就任 1991 住友金属工業株式会社慰球団入団 1993 鹿島アントラースをJリーグ1stステージ初代チャンピオンに 1994 惜しまれながら現役引退 1994 鹿島町名誉町民となる 1994 内閣総理大臣顕彰受賞
ジーコの手形と足形もある
ジーコの手形。つい自分の手を重ねてしまう。
偉大なるジーコの足形。足形はカシマスタジアムのジーコ像前にも埋め込まれている。
サッカーに関する展示も
2013年にチェリオを訪れたときは、ジーコのポスターがたくさん飾られていた。時々、サッカーに関する展示をやっていて、この時はアントラーズの歴史がわかる写真展が開催されていた。
ショッピングセンター チェリオ
住所 | 〒314-0031 茨城県鹿嶋市宮中290-1 |
TEL | 0299-84-6600 |
営業時間 | 10:00〜20:00 |
鹿嶋市名誉市民となったジーコ
鹿嶋市名誉市民のジーコ。1991年、住友金属の蹴球団(現鹿島アントラーズ)にジーコが入団してから、クラブも町も大きく変わり、ジーコによって鹿島は世界に知られるようになった。
ブラジルワールドカップの時、アントラーズのユニフォームでリオ・デ・ジャネイロを歩いていると、よくブラジル人に声をかけられた。ブラジルのレジェンド、ジーコをみんなリスペクトしているのを肌で感じた。ジーコはワールドカップに3大会出場。ブラジル代表選手として94試合に出場し、77ゴールを挙げている。そんな世界のジーコが、この鹿嶋に来てくれた。ジーコは鹿嶋をサッカーの町にした立役者だ。
ジーコがサッカー界において世界的なスターだということはわかっていても、私自信はジーコの現役時代を知らない。ジーコが現役引退したのは1994年で、その頃私はサッカーにまったく興味がなかったのだ。2016年、鹿嶋に移住して仲よくなったおじいちゃんたちに聞くと、当時のジーコの活躍をハイテンションで語ってくれる。そして、ジーコのサインや、ジーコと写真撮影した話もよく聞く。ジーコはファンをとても大事にする選手だった。それは選手を引退した今も変わらない。鹿島アントラーズのクラブハウスで、ジーコにサインをもらう機会があったとき、一人一人、しっかり目を見て微笑みながらサインをするジーコに誰もが心を奪われていた。ジーコは神!ジーコは神!と浮かれて家路についた覚えがある。
ジーコは現在も鹿島アントラーズのクラブアドバイザーとして、鹿島を支えてくれていて、「元気なうちは日本に来る」と言ってくれている。
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