欢迎来到鹿嶋

台湾から宿泊予約が入った。どうやら貸切をご希望らしい。ただ、希望している日は鹿島アントラーズのホームゲームがあって満室。その翌日も先客がいた。希望日近くで貸切できる日を伝えると、なんとわざわざ旅程を変更してMARBLE B&Bに来てくださるという。他にもホテルはいくらでもあるのに、なぜ小さなわが家を選んでくれたのだろう。

その理由は、彼女たちが到着してすぐに判明することになった。茨城の食材をダンボールでたくさん持ち込んですぐお料理を始めた。「キッチン使ってもいいですか」「日本、おいしい」「茨城、おいしい、安い」と言っては、次々と本場の台湾料理ができあがってくる。「あなたも、食べる?」「一緒に食べよう!」とお母さんが声をかけてくれて、私も食事に呼ばれることになった。茨城といえば、梅ね。梅が有名だから、みんなで梅酒を飲もうと、私のグラスにも梅酒が注がれた。梅で有名な水戸の偕楽園のことまで知っているとは。

茨城のものを生かした料理が並んだ。彼女たちは、日本食材を使ったお料理を楽しみたかったのだ。なるほど、ホテルや旅館では、ここまで自由にキッチンを使えない。民泊であれば、キッチン設備が必須条件なので、こうした旅が楽しめる。それにしても、チェックインから料理ができあがるまでのスピードがすごかった。パワーがすごい。

MARBLE B&Bは、一通りの調理器具や食器が揃っている。足りない物があれば、自宅側から貸し出すこともある。私がヨーロッパを旅しているときに、居心地のよかった宿は、こうしたキッチンが自由に使える宿だった。アムステルダムの宿は、トイレもシャワーも共同だったが、小さなキッチンがあった。朝、好きな時間に起き、他の宿泊客が出かけた頃に遅い朝食を食べる生活を送った。冷蔵庫にはいつも食べきれないほどのハム、チーズ、それから生卵があった。パンは食べ放題。近所のスーパーでレタスを買ってきて、いつもハムエッグを作り、最後にちょっと焼いたチーズとレタスをサンドして、食べていた。そうやって、アムステルダムではあまり外食することなく、自分のリズムで食事をしていて節約もできた。あのアムステルダムのキッチンを、MARBLE B&Bにもつくりたかった。

アムステルダムの宿。毎朝このキッチンでサンドイッチをつくった。(2005年)

当初、簡易宿泊所の申請を視野に入れていた。ところが、時代の波は民泊。2018年6月に住宅宿泊事業法が施行され、MARBLE B&Bは茨城県第一号で届出を出した。この波に乗ることにしたのは、キッチン利用も理由のひとつだった。ホテルや旅館では体験できない、居心地のいい空間をつくりたかった。旅先のスーパーで買い物をし、地元の生活や文化を知り、自炊をする。特別なことではないけれど、こうしてその国の日常を知るのはとても楽しい。そして、こんなふうに暮らすように旅をするのは案外難しい。

スペインのカナリア諸島、テネリフェを訪れたときもキッチン付きのアパートを借りて自炊して暮らしていた。鍋でごはんを炊き、世界遺産テイデ山のてっぺんで食べたおにぎりの味が忘れられない。ローマでは、同じ宿に居合わせた日本人の方とスーパーに買い出しに行き、一緒に料理をした。ただ、どこの国も鍋の蓋がなかったり、キッチンクロスや鍋敷きがなかったり、不便を感じることも多かった。そうした不便を感じないように、MARBLE B&Bは清潔で充実したキッチンを整えたつもりだ。

今回、こうして台湾のお客さんにこの体験を提供できたことをとてもうれしく思う。

テネリフェの宿では鍋でごはんを炊いた。納豆を冷凍して持ち込むことにも成功した。(2017年)

ローマの宿に、日本人客が置いていったであろう「ゆかり」があったので、おにぎりにした。鍋の底は湯切りの穴が空いていて、本体の鍋はなかった。それで、炊飯器で野菜スープをつくった。(2010年)

実は彼女たちは台北に本社を構える旅行社の方々だった。茨城空港は、木曜と日曜のみ台北直行便が飛んでいるので、茨城旅の旅行プランを練ってるようだった。自分たちの足で日本を見て、感じて、味わって、日本人の私よりも日本をよく知っていた。茨城県知事や茨城空港の方とも親交があって、茨城観光に力を入れているようだった。魅力度ランキング最下位だというのに、それを知った上で、茨城をとても楽しんでくれていた。なんてありがたいのだろう。

ホテル以外のところに宿泊するのは、彼らにとっても初の試みだったという。旅行プランに組み込む場合、安心して確実に迎え入れてくれるかどうか、民泊は不安もあったのだろうと思う。

食事をしながら、この家を建てた経緯やこだわり、原発事故があった故郷のこと、家族のこと、日本のおすすめの場所、仕事、事業の拡大、サッカーのこと、あらゆることを深く語り合った。その結果、「一人では忙しい、あなた結婚しろ」と満場一致で意見がまとまった。彼らが帰ったあとにテーブルに残されていたのは、結婚情報誌「ゼクシィ」だった。

あれからまだ1ヶ月も経たないうちに、また貸切のご予約をいただいた。今度は何を作るのかな。私はまたお母さんのつくるおいしい台湾料理が食べたい。

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